「宇高(うこう)鉄道連絡船」は明治43(1910)年6月の運航開始以来、昭和63(1988)年4月の瀬戸大橋開通に伴う廃止時まで、本州と四国の大動脈として「宇野(岡山県)―高松(香川県)」の区間で旅客と鉄道貨物を運び続けていました。
廃止後、使命を終えた船は早い段階で売却され、桟橋施設も宇野側は2年後に撤去されました。唯一、発着バースのみが残りましたが、これも港の再開発工事が始まると撤去される運命でした。
当時、同船を偲ぶ団体はありましたが、歴史を継承する団体は存在しておらず、史料の散逸化を防ぐのは個人的な活動で行っていたのが現状です。會長もその1人で、史料収集と歴史研究を行い、同船廃止5年である平成5(1993)年3月には企画展示を開催し、この時協力した友人が同年8月に結成した「宇高連絡船愛好會」初期メンバーとなります。最初の活動は海外に売却された連絡船の動向調査と唯一残っていた宇野側バースの保存運動でしたが、実はメンバー全員が高校生で、関係機関を訪ねても最初は全く相手にされず、活動は難航しました。しかし、諦める事無く訪問を繰り返し、地元に対しても保存の意義を伝える活動を行い、何とか保存に結びつけました。

現在、継続して行っているのは、
・史料の収集と研究、それに伴う歴史の再検証
・バースの清掃とメンテナンス、PR活動
・連絡船の役割を伝える為、最盛期を再現した立体資料(Nゲージ模型)の製作と管理
(宇野港の産業振興ビル1階ロビーにて通常は常設展示、イベント時には列車運行)

特に本年度では、現在休止中の宇高航路の復活に向けた活動と、同航路全般の歴史検証を行っています。
瀬戸大橋が出来ても、その補完機能としての役割を果たしていました。ここ数年は「地域交通の問題」として行政やマスコミが騒いでいましたが、その観点からの存続は難しいと思っています。私達は、本州と四国の「南北軸」としての1本として同航路を考えています。

宇高鉄道連絡船用宇野第2バース跡
宇高鉄道連絡船用宇野第2バース跡
  昭和45(1970)年モデルの立体資料
昭和45(1970)年モデルの立体資料